
僕の生立ちと現在を紹介します。社長の松本ってどんな奴?と思っておられる方のために。
写真は金沢市立松ヶ枝町小学校6年生の卒業写真だ。
性格はいたって大人しく、ひ弱。
通信簿の母親申告欄には「臆病」と書かれていたのを記憶している。^^;
部活も卓球部を1年生の1学期で辞めてしまう根気の無さ。
自分にできることは何か?と模索を続けていたような気がする。
写真を撮るとき、頭が右に傾く癖はこの頃からだと今、気付いた。^^
高校3年間軟式テニス部で鍛えたものの、暗い性格は直らず。
もちろん、彼女もできず。悶々とした学生生活を続けていた。
僕はいわゆる「ミーハー」(ってもう死語?)ではないが、友人に誘われてキャンディーズの解散コンサートに行ってランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんの三人と握手した。不覚にも感激した。
この頃、何故か金沢でQUEENのコンサートがあった。裸のフレディ・マーキュリーの姿は気色悪かったが、この時は最高に格好よかった。音楽もまた最高だった。
オリビア・ニュートン・ジョンも何故か金沢にやってきた。人気絶頂の頃である。決して大げさではなく、「生きてきて良かった」と思うほど感激した。
引っ込み思案の僕がもらえるはずないが、記憶に間違いが無ければオリビア直筆のサインである。確か誰かから分けてもらったのだと思う。
入学式後のオリエンテーションが終わって出てきたとき、縁もゆかりも無い「体育会合気道部」の怖いお兄様に囲まれ、「練習を見に来ないか」と。
その晩、ご飯をおごってもらってそのまま4年間。
右の写真は長野県で行われた地獄の夏合宿の模様なのだ。
一回生(関西では学年をこう呼んでいた)の頃、四回生は確かに「天皇」に見えた。
とてつもなく怖かった。
最後列の部員が掲げる額縁の写真は、合気道ご開祖植芝盛平翁。
二代目道主であられる植芝吉祥丸先生には
「合気道は宇宙の摂理を表わす」と教わった。
その意味をいまだに理解できていない。
中学1年生のとき、卓球部を続けることができなかった負い目があったせいだろうか。
よれよれになりながら続けた合気道部。
また、田舎者の性からだろうか。一晩一飯の恩義で4年間。大変にお世話になってしまったのだった。
4回生のとき、大学の向いにある竜安寺にての記念撮影だ。
平成8年4月25日。会社が危機に陥った。取引先の料理長に対する贈収賄事件で先代社長と元専務が逮捕。約一週間後に釈放された。
自宅に刑事が乗り込んできたのだ。あまりにも突然の出来事だった。
先代が築き上げてきたお得意先、取引先への信用はガタガタ。社員は一日中取材陣にカメラを回され、フラッシュを焚かれた。
僕はこの新聞記事を生涯忘れることは無いだろう。
二度と同じ過ちを犯さないために。
「社会のすべての皆様に申し訳ない」心からそう思った。
と同時に、「この局面を乗り切ることができるのは俺しかいない」と自分に言い聞かせた。
何よりも僕の肩には家族5人、社員とその家族を合わせると100人以上の生活がかかっているのだ。
約一週間拘留された心労が原因か。肺ガンに倒れた。63歳だった。
その前年度の決算月直前に元専務が退社。会社のトップ二人が同時に姿を消した。
売上高は15%ダウン。会社創業以来2,200万円の赤字決算だった。
このままでは会社が無くなってしまう。
崖っぷちに追い詰められた。
翌年度、僕は代表取締役に就任。部門別決算を導入して徹底的に無駄を切り詰めた。
切り詰めるだけでは会社にならない。「これが我が社の芯だ」と呼べるものを創り上げたいという想いから石川県中小企業家同友会にお世話になり、経営指針講座に通った。
魚への感謝。お客様への感謝。社会への感謝。
会社存亡の危機にあたって暖かく励ましの言葉をかけていただいたお得意先。近江町市場の皆様。お取引先。銀行の理事長様。皆様への感謝は生涯忘れない。
魚の販売を通して我々の「まごころ」を伝えられる仕事がしたい。今は心からそう願う。
経営理念 「おいしい」の一言が私たちの願いです
現在、社員38名。お客様と社会に役立つ「魚専門店」になるべく、悪戦苦闘の日々だ。















